この場所に着くまでは、何も異常はなかった。
 僕はケイと別れの挨拶を交わして、繋いだ手を離したとたんにケイがしゃがみこんで、それで彼女はぬいぐるみを手放しちゃって……。

 いや、それはおかしい。
 ケイは記憶を無くしたからしゃがみこんだわけで、しゃがみこんだから記憶を無くしたわけではない。

 ――もしかして、彼女がしゃがんだ時にはすでに記憶を失っていた?

「ということは……」
 もしやと思い、僕はケイと繋いでいた右手を街灯に照らして見る。
 すると――甲の部分に赤い渦巻紋様が描かれていた。
「げっ、いつの間にこんなものが!?」
 ケイの記憶の在り処が移動したんだ。
 僕の手に。彼女と手を繋いでいる間に。

「どうする、どうする?」
 僕は考える。
 泣きじゃくるホタルをこのまま放っておくわけにはいかない。
 ホタルをケイに戻すには、僕が手を繋いであげなくてはならないのだ。

 しかし、一度手を繋いだら、もう後には戻れない。
 彼女の実家、学校、塾、そしてお風呂。二十四時間、彼女と一緒に居ることになるだろう。
 これから一週間、その試練を乗り越えることができるだろうか? 

 僕は、右手の渦巻紋様を見つめる。

 でもこれが僕に現れたってことは、ケイが僕に気を留めてくれたってことなのかな?
 ぬいぐるみに渦巻紋様が現れた時のように。

 それだったら嬉しい。
 ケイの深層心理が、僕を求めてくれた。
 もしそうなら、彼女の想いに答えてあげたい。手を繋ぐという形で。

『開君の手って、暖かい……』

 ケイの声が聞こえるような気がした。

 ――だったら。

 勇気を出して踏み出そう、たとえそこにどんな困難が待ち受けようとも。
 ケイと一緒なら、きっとどんな試練でも乗り越えることができる。

「ケイ、行こう!」
「うっ、うっ……。ホタルは……ケイじゃないよ」
「ほら、僕と一緒に行こう! 手を繋いで」
 僕は彼女の濡れた瞳を見つめながら、ゆっくりと右手を差し伸べた。





 おわり